朝日新聞「カルテの余白」: 2003年4月

医療保険柔軟な発想を

カルテの余白

カルテの余白 ⑩

医療保険柔軟な発想を

土曜 朝刊 (P.23医療)

2003.3

朝日新聞 掲載


今日から、サラリーマン診療を受けるときの自己負担が2割から3割に引き上げられた。

受診抑制につながるとともに、「先生、ついでにビタミン剤もください。○○の検査もお願いできますか」「はい。分かりました」といったやりとりも減るかも知れない。
 医療保険は元々、健康診断などのような予防医学的なことには使えない。
予期せぬ重い病気になったとき、家計に重大な影響が出ないように国民がお互いに支え合おうという仕組みだ。
 ただ、医療技術が進歩するにつれ、医療費は増え、保険料も高くなってきた。すると高い保険料を負担するからには、使わなければ損」という悪循環に陥る。これほど単純ではないとしても、保険財政を逼迫ひっぱくさせた要因の一つであることは否定できない。
 私たちは13年前から、自由診療を全面的にとり人れて、健康な時から何でも相談できる「主侍医」制度に取り組んでいる。かかった費用はすべて患者さんに払ってもらう。そうしてみて感じるのは、患者さんの意識の変化だ。
「その検査は必要なのですか?」
「その薬はまだ残っています。足りない分だけ下さい」。患者さんのこんな声が増えたのだ。
 財源が足りないから、医師にも患者にももっと負担してもらう---という政策には、医療の品質を上げようという哲学が感じられない。浪費は抑えられるだろうが、治療が必要な患者さんにも治療への敷居を高くしかねない。
 予防医学にも補助を出したり、患者の病状や経済状況に応じてきめ細かい設定をしたりできないか。英国の家庭医のように、健康な時から登録して一定の報酬を支払うような医療保険の創設など、柔軟な発想が必要だ。

「ドクターミシュラン」は可能か

カルテの余白

カルテの余白 ⑪

「ドクターミシュラン」は可能か

土曜 朝刊 (P.23医療)

2003.4

朝日新聞 掲載


「名医ガイド」「病院ランキング」、医師や病院をランク付けして紹介する本があふれている。医療の世界にも評価制度が導入されれば品質も向上するはずなので歓迎したいが、「これは実際に役立つ」と納得できるものは、なかなか見つからない。
患者さんの医療判断を支援する私たちの活動に、信頼できる医師仲間を増やすことは不可欠だ。患者さんに紹介したり、一緒に診療したりするときに「自分が病気になったらこの人に診て欲しい」という医師なら安心できる。
仲間を増やすのに、知識、技術、そして人間性の三つを重視している。しかし、学閥のほかに、卒業年代、病院系列、医師会、医局などの閥がある。
情報の聞き先によって医師の評価は違ってくる。患者さんにも尋ねるが、「人間性重視」に偏りがちだ。
客観的な評価を求めていつも悩んでいる患者さんの医者選びは至難の業だろう。
私が頼りにしているのは、それぞれの医師の同級生からの情報だ。「物事や人に接する心構え」を聞く。学生時代に人のために尽くす人は社会に出ても変らないだろうと思うからだ。しかも学生時代の評価は利害が絡まないのでより信頼性が高い。同僚の医師や看護婦、患者さんらの情報も加える。そして必ず自分の目で確かめる。
 この20年で千人以上の医師に接触し数百人を自分のリストに載せた。信頼の絆(きずな)で結ばれてこそ、「あいつから紹介された患者さんだ。しっかり診て、きちんと返答しよう」となる。
 我々、医療判断医は患者さんの症状から、最初の見立てを確実に行い、適切な専門医にお願いする。
医師同士の緊張感のある信頼関係が広まれば、医療の品質がきっと向上するだろう。

かかりつけ医を応援します

カルテの余白

カルテの余白 ⑫

かかりつけ医を応援します

土曜 朝刊 (P.23医療) 

2003.4

朝日新聞 掲載


大学に在籍する後輩の医師から、こう打ち明けられた。
「研究や教育は、少し物足りない。患者さんを診察するのが好きなので、開業して診療に専念したいんですが、開業資金がないんです。」
患者さんの「大病院思考」が強い。高額の医療機器が充実していることも「安心感」をもたらすのだろう。だが、医療の質を上げるには、能力とともに情熱が必要。若い人材が机一つで開業しようとした時に支援できないか。こんな考えから今年2月、高額の機器を開業医が「共有」できる施設を東京都千代田区にオープンさせた。
磁気共鳴断層撮影(MRI)やコンピューター断層撮影(CT)などの医療機器をそろえ、開業医が利用する仕組み。開業医が自分で機械を購入しなくてもすむ。画像をみるのにも専門医が協力する。利用する開業医を1000人~2000人と想像しているが、現在50人~60人。患者さんの保険診療以外の特別な料金はいまのところ不要。
患者さんがいつでも検査データを引き出せる「どこでもカルテ」事業も考えている。実現すれば、セカンドオピニオンも受けやすくなる。
「医師は借金してはいけない。心のゆとりを持ってこそ親身で高度な医療に打ち込める」という私の持論の実現を目指し、患者さんに身近なかかりつけ医を支援しようと、スタッフ数人で小さな事務所を設けた。
まだ「家内工業」の段階だが、「手作りのスーパーカー工房」が目標だ。
小さいながらもスーパーカーのようなモデルを試作・実践してノウハウを公表。制度化を働きかけたい。
「変わった医者」と言われても、こんな医療へのかかわり方もあると確信している。

「主侍医」の原点アポロ11号

カルテの余白

カルテの余白 ⑬

「主侍医」の原点アポロ11号

土曜 朝刊 (P.23医療)

2003.4

朝日新聞 掲載


アポロ11号に乗って、人類が初めて月に到着したのは1969年。今のパソコンと 同じくらいの性能のコンピューターが小さなビルほどの大きさだった時代のことだ。 そんな昔に偉業が実現していたことに改めて驚かされる。
私はアポロから9年後の78年に医師になった。脳外科の研修で脳腫瘍(しゅよう)の手術を経験し、がんの基礎を研究したいと内科に転向した。そこで、旧態依然とした大学病院の実態を目の当たりにし、84年、最先端の医療施設をつくろうと、仲間と研究組織を立ち上げた。
電子カルテ、医師間のコンピューターネットワーク、ICカードによる個人医療情報カード、医局以外の医師人事制度......様々な分野の人たちが加わり、深夜まで研究開発に没頭した。だが当時はパソコンもインターネットも普及していない。構想を練っても実現には大きな壁がある。そんな時、思い出したのが、アポロのことだった。 
アポロは既存の技術を上手に組み合わせて「未来の技術」を手にしていた。同じように、今ある技術や知識を上手に組み合わせれば、かなりのレベルの医療システムができるはず。
そして、提唱したのが「主侍医(しゅ・じ・い)制度」だった。治療を担当する「主治医」に対し、健康な時からそばにいるという意味で「主侍医」と造語した。「侍医の役割を顧問弁護士のような契約で」というスローガンは口コミで広がり、契約は50以上になった。 実験的な活動なので契約者数は限定しているが、余裕があれば公開相談会も開いている。


今回で私の連載は終わる。今後は情報提供を続けているホームページの場に移してメッセージを発信していきたい。
(内科医・医療判断医、寺下謙三)

 

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