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寺下勇祐 Blog

娘の中学受験を終えて

※今回は医学と関係ない私的な内容です

 

2025年2月1日から2月4日は長女の中学受験という、長く短い4日間を過ごした。

こんなにも勉強させられる4日間になるとは想定していなかった。

結果から言うと、第一志望に幾度も挑戦するが残念ながら合格できず、第二志望の中学へ進学することに。

  

私も中学受験を経験していて、第一志望であった麻布中学に落ち、滑り止めとしていた城北中学になんとか補欠合格した経験を持つ。

その当時の感情を詳しく覚えていないが、強烈に悔しかったり、悲しかった記憶はない。中学受験を失敗だとも思わなかったし、結果を素直に受け入れ、すぐに前を向いていたと思う。

(特に私は暁星小学校に通っていたため、中学受験をしなければ、そのまま暁星中学に上がれる状況にあったにも関わらず。)

  

 

今回は初めて親として挑んだ中学受験。

私は娘が中学受験をすると決めた時から、娘には「パパは結果を大事だとは思っていない。中学受験をするまでの過程が何よりも一番大事だ」と伝え続けてきた。

そんな中、私が勝手に期待しているような勉強をしない娘の姿をみて苛立ち、親である私のわがままで娘とぶつかっていた時期も正直あった。

 

 

でも、娘は本当に良く頑張っていた。ほとんど嫌な顔せず、週6回の塾へ行き、年末年始は休むことなく毎日勉強。

私の父、母であるおじいちゃん、おばあちゃんも積極的に娘の受験勉強を手伝ってくれ、その期待にも応えるように努力していた。

唯一の楽しみは学校に行き、友達に会ってしゃべること。それほどまで頑張っていた。

間違いなく全力投球していた。

 

いつだったか、娘に中学受験で合格したいかと聞いたことがあった。

娘はもちろん合格したいと思っているけど、それよりも落ちてしまったら、家族に申し訳ないと思うから受かりたいと言った。

親馬鹿だが、自分の気持ちよりも人の気持ちを心配する娘をみて、少し誇らしく感じていた。

 

 

1月31日 受験前日

娘には

「よく頑張ってきました。パパが言っていた過程が大事であるということは達成できた。あとはどんな結果でも受け入れる。

そして、どんな結果であったとしても、パパ・ママ・ケージー(おじいちゃん)・あーちゃん(おばあちゃん)にとって、

大切な娘であることは変らないから」

と伝えた。

 

2月1日 受験当日

いつも通りの明るい笑顔と共に家族全員で第一志望の受験校へ向かった。2月1日午前が一番の勝負所。

この日は受験形式が違うものの、午前・午後とも同じ第一志望校の試験であった。

二つの試験を終え、娘は笑顔で受験会場から出てきた。

中学受験の多くは合否の結果が当日に出る。この日は18時と23時。

ドキドキしながら、18時の発表を娘とみる。

ネットの発表とは味気ないものだ。ログインボタンを押すと『残念ながら、不合格です』という冷たい文字がすぐに飛び込んできた。

一瞬、悲しい空気に包まれるが、みんなで「明日もあるから頑張ろう」と声を掛け合った。

弟も姉の結果を気にかけていたようで、落ち着かない様子であった。

23時の発表は、娘にとってチャレンジ気味の試験内容であり、あまり合格を期待できなかったことと、明日の受験もあったため、

先に娘は寝て、もし受かっていたら、その場で起こして伝えることとした。

娘は切り替えているのか性格が図太いのか、すぐに寝た。

親の二人で23時の発表を確認したが、期待した結果ではなかった。

 

2月2日

さて、受験二日目だ。残念ながら一日目で決着はつかず。

娘は何事もなかったように、受験の準備をする。昨日の23時の発表について、誰も一言も話すことはなかった。

この日の午前は抑えとしての第二志望の中学校。午後は第一志望の中学校の3回目の受験。

いつも通りの様子で、受験会場へと向かった娘。

午後の受験が終わったら、すぐに第二志望校の結果が発表される18時となる。

娘を迎えに行ったママと、ささっと夕食を食べるために家の近くのお店で合流することにした。

私が一足先にお店に入るつもりであったが、もう18時になりそうだ。居ても立っても居られない。

店の前でそわそわしながら、娘とママの合流を待つ。

携帯を確認するとすでに18時をまわった。二人はまだ来ない。そう思った直後に、遠くのエレベーターが開く。

娘が私と弟を見つけて、走り寄り「もうみた?」と聞いてきた。

「まだだよ」と答える。実は抑えといえど、倍率は7倍程度であることを知っていた私は、一人不安を抱えていた。

今回もインターネットでの発表だが、掲示板から自分の受験番号を探すタイプの発表形式であった。

娘と二人で、携帯を見つめる。

  

「あった、合格している」 私はすぐに娘の番号を見つけた。

「え、どこどこ、まだ私は見つけれない」と娘が言う

近くにいたママも、すぐに携帯を覗き込んだ。

何度も番号を確認し、喜びを共有した。

ケージーとあーちゃんも合流し、とりあえずの合格を祝った。

 

しかし、チャレンジ校への挑戦や第一志望へのリトライがまだ残っていた。

午後の試験の合格発表は残っていたものの、チャレンジ校受験や落ちていた時に第一志望校へのリトライも出来ることもあり、気持ちは緩めなかった。

娘もやる気に満ち溢れている。

家に帰り、少し落ち着いたところで午後の受験の発表。

受かっていることを願いつつ結果をみるが、携帯には無情にも「残念ながら、不合格です」の文字。

全員ですぐに切り替え、明日への受験の準備に取り掛かった。

 

2月3日

午前中はレベルの高いチャレンジ校への挑戦であった。難しいことはわかっていた。

それでも娘は気負うことなく、受験会場に向かう。

そして、午後は急遽、第一志望校の特殊な受験(理数探求)を受けることにした。

二つの難しい試験を受けて帰ってきた娘は、やっぱりいつもの笑顔。でも、できているかどうかはわからない。

正直、問題は難しかったようであり、合格は厳しいと思っていた。

チャレンジ校の発表は翌日の2月4日であったが、第一志望校の合否は21時半に発表された。

みんなで携帯を覗き込むが、桜は咲かなかった。

明日が本当に最後の受験。なんと第一志望校をまた受けられるのだ。これが5回目の挑戦。

これだけ落ちているのにも関わらず、明日の試験に向けて、家族みんなで笑いながら対策を練る。

最高の家族だ。

この日も娘はベッドに入ると、すぐに寝た。

だが、親の二人はほとんど寝ることができなかった。

 

2月4日

いつもより早く娘は起きてきた。たくましい娘もさすがに緊張しているのか。

これが最後の挑戦であることは誰もが分かっている。

朝の短い時間もできるだけの対策をして、娘は足取り軽く家を出ていった。

私は仕事にいくが、娘の受験で心は落ち着かない。

そして、試験時間が終わった。この日はケージーとあーちゃんがお迎えに。

電話の向こうでは、いつもの明るい娘の声。

  

ほっとした。

  

娘と合流し、「お疲れ様、よく頑張りました」と抱きしめた。

昼食を済ませ、合格発表を待つ。

まずは、昨日のチャレンジ校の発表が14時に。

今回は、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒。

パソコンの画面をみんなで凝視するが、出てきた文字は「残念ながら・・・・」

 

(やっぱり難しかったか。でも、まだ最後の発表が残っている。)

 

家族全員そろって、おやつのシュークリームを食べ、最後の発表に備える。

  

いよいよ発表の時刻となった。

  

娘、ママと一緒にパソコンを眺める。

幾度も打ってきた受験番号とパスワードを打ち込んだ。

そして、ログインボタンを娘に託す。

比較的あっさりとボタンを押す娘。

  

  

  

「残念ながら、不合格です」

  

  

  

娘の前だったが、耐えきれない感情が噴き出てきた。

涙が出た。

(あんなに頑張っていたのに、こんなに良い子なのに、可哀そう)

喜怒哀楽の哀という一つの感情だけであった。

自分の受験の時とは全く違った感情。これが親の気持ちか。。。

 

娘をもう一度「頑張りました」と抱きしめた。

 

不思議と怒りの気持ちは一切なかった。

もっと勉強してればよかったのに、落とした学校が悪い、塾の指導が悪かった、そもそも受験戦争が悪い、など

 

ただただ、娘のことが不憫で仕方なかった。

「落ちたら家族に申し訳ない」と言っていた娘の気持ちを考えると心が締め付けられた。

 

(もう結果は変わらないし、そもそも過程が大事だといっていたじゃないか!)

そう自分に何度も言い聞かせて、感情を抑えた。

 

娘は落ち込んでいたはずだが、すぐに第二志望であった中学への進学に前向きとなっていた。

部活はどうするか?

どうやって友達を作るか?

制服も可愛く見えてきた!

本当にたくましい子だ。

 

その日の夜は家族で食事に出かけた。

顔に出来るだけ出さないようにしていたが、娘は私の気持ちに気づいたのだろう。

「私のことを想ってくれているのはわかるけど、それだったら切り替えてくれたら助かる」

と言ってきた。

私は驚いて言葉が出なかった。娘はまっすぐ立派に成長している。

哀の感情で満たされていた私の気持ちの中に、喜の感情が舞い込んできた。

それはそれで、余計泣けてきた。

 

 

これが親として初めて挑んだ中学受験の記録である。

中学受験を通して、本当に色々なことを学び、成長できた。娘はもちろんだが、私も含めた家族全員が良い方向に成長した。

結果は希望通りではなかったが、中学受験を家族みんなで挑戦できたことに後悔はひとつもない。

 

 

 

~あとがき~

受験勉強をするにあたって、お世話になった早稲田アカデミーの先生方には大変感謝しています。

娘の能力や性格を分かった上でサポートしてくれました。ありがとうございました。

 

私の父・母にも感謝しかありません。

毎日、娘の受験をあらゆる面でサポートしてもらったからこそ、良い中学受験を乗り越えられました。

 

そして、なによりも娘に感謝しています。

苦しいときもあったはずなのに、最後の最後まで笑顔を絶やさず、受験を終えることができたのは娘のおかげです。

私たちの娘として、生まれてくれたことに『ありがとう』

 

 

これからも家族でいろんな困難があると思うが、

かならず私たち家族なら乗り越えられると確信した中学受験であった。

娘の中学受験を終えて